61.踊り場の道標(左指さし)伊勢本街道 すぐならはせ道 文久三癸亥十一月建 右 くまのミち (多気町相可・147.0×29.0×23.0) (位置図はこちら) |
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62.相可の道標右 まつさかみち (左指さし)さんぐうみち 左 くまのみち (多気町相可・155.0×24.0×21.5) (位置図はこちら) |
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| 62.の裏面追刻銘文 これは明治20年頃、ここより東30メートル進んだ左角に 南面して建てられたものである。 ところが、昭和30年代に惜しくも折損したので、この度 ここへ補修して移転をした。 昭和59年甲子閏如月再建之 |
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札の辻の道標(相可) 名物「まつかさ餅」を売る長新は江戸末期の創業である。その東は広闊な三差路で、南へ一道を分かつ。これが熊野道である。ここの東角に町内の代表的な道標が北面して立てられている。正面には「伊勢本街道」と楷書で、東面に「すくならはせ道」、西面は「右くまのミち」とあるが、東・西両面は草書である。背面は「文久三癸亥十一月建之」といずれも彫りは深い。字は三谷蒼山の筆と伝えられる。それを蒼山の没後、文久年間に至り、彫刻して建てたもので、石工は当時この地で名工として誉れ高い相可の石鹿(いししか・明治11年没)である。 三差路の東側を溝川が北流しているが、江戸期この溝川に沿って制札が西面して立てられていた。すなわち制札場である。それでここを札の辻といい、また、昔はここで盆踊りを催したので、俗に踊り場とも称した。ここも車屋の横と同じく、三方荒神の溜まり場で、馬子が客待ちをしていた。 昭和59年2月26日、この地は区民の手で街道遺跡として保護されることになった。明治18年松坂からの新熊野街道が建設されるに伴い、明治20年頃みなとや東南角に南面して立てられた道標を、ここに移転して景観を整備したものである。道標は、正面に「(左指さし)参宮道」、右側つまり元の位置では東面に「右まつさかみち」、後ろ側すなわち北面には「左くまのみち」とある。以来ここを道標広場と呼んでいる。(『多気町史』より) |
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