第17番、         ― 荒 木 村 ―

    荒木山称名寺(あらきざんしょうみょうじ)

        真宗高田派

    聖観世音菩薩

所在地  〒514-2301  津市安濃町荒木212の2番地

管理者  荒木区長

蓮華山生楽寺 同処(荒木)ニアリ、本尊聖観音運慶作。(『勢陽五鈴遺響』より)

ご詠歌  あづさ弓あらきこゝろもひきかえて まことのみちに入るぞうれしき

  生楽寺について『明合尋常高等小学校・郷土資料』には、“蓬莱山生楽寺跡”と題して「字ヲトロニアリ東西拾壱間南北拾弐間臨済宗津市浄明寺ノ末派ナリシガ明治八年廃寺トナル現今ハ之ヲ区会所トナス」と記されており、昭和初年には区の集会所として使用されていました。昭和20年代までは尼僧が住持して初観音などの行事を執行していましたが、昭和30年1月、浅野智教尼が他界されてのちは無住となり、昭和40年に本尊の聖観音像は地区の称名寺の境内に建てられた観音堂に移されました。

 称名寺は延宝年間(1673〜81)に僧慶休がこの地に一宇を建てて、慶休道場と名付けて布教していたのを、のち称名寺と改めたのが始まりと伝えています。寛政年中(1789〜1801)僧教海が狭隘化した堂宇を増築し、寺運を盛んにしました。嘉永6年(1853)の震災に遭い、建物は倒壊しましたが、翌7年には再建を果たしています。しかし、近年、住職が転出されて寺は無住となり、現在では区の管理となっています。

 観音堂の正面軒下には生楽寺の扁額が掲げられ、堂内には室町時代の作とされる聖観音立像が安置されています。なお、安濃町教育委員会によって立てられた解説板には、以下のように紹介されています。

 この観音立像は、もとこの地区にあった生楽寺のもので、昭和40年(1965)に称名寺の境内に移されました。仏像は、条帛・天衣および裳(折り返し二段)を着て、足先を開いて蓮華座に立っています。左手は肘を曲げて未敷蓮華(みぶれんげ)を持ち、右手も肘を曲げて宗の前で親指と人差し指で輪を作っています。作り方は寄木造で、眼は玉眼を入れて作っています。体の金泥や持ち物、裳、瓔珞、台座、光背も後に補われています。

 仏像の大きさは高さ265センチで、町内では最大の大きさで、県内でも屈指の巨像です。頭部が体部に比べてやや大きいのが特徴です。制作年代は、類例が少ないので難しいのですが、特徴から室町時代と考えられます。しかしながら、この時期以降の可能性もあります。

なお、生楽寺が廃寺になったときに、仏像の中から古文書が多量に発見されましたが、痛みがひどく焼却されました。


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